多民族交響曲 二つの幻とナショナリズム その二
それでは世界史です。
今回はオーストリア、ハンガリーとフランスとの関係を「ナショナリズム」を通して見ていきます。
なぜ「ナショナリズム」なのか。それは「ヴンダーチーム」と「マジックマジャール」の解体につながる動きである、ということと世界の現状を見るうえで助けになる歴史だと思うからです。
「ナショナリズム」はフランス革命で産声を上げます。
フランス革命は自由と平等をかかげ、それまでの身分、職業、地域などによって分けられていた人々を国家と直接結びついた市民(国民)にかえようとしました。
こうして誕生した国民意識をもった平等な市民が国家を構成する「国民国家」という理念が生まれます。
そしてナポレオン(ナポレオン=ボナパルト)はその成果を受け継ぎ、ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争をおこし全盛期にはロシア以外のヨーロッパのほとんどを手中に収めます。しかしフランス革命で生まれた「国民国家」の理念はこの一連の戦争とともにフランス以外の国々にも広がり、ナポレオンによる支配に対する抵抗の根拠になりました。
ここから民族問題が始まります。
1814年に当時のオーストリア外相メッテルニヒの主導でナポレオン戦争の戦後処理がウィーンで行われ、ウィーン体制が敷かれます。
ここでいくらか自由主義やナショナリズム(国民主義)は抑えられますが、1848年フランスの二月革命がヨーロッパ各地に波及、民族運動が高揚します。
そのあおりを最も受けたのがオーストリアでした。オーストリア帝国は当時のヨーロッパ最大の多民族国家です。領地内には10をこえる民族が含まれ、1848年革命によってこれらの民族が自治、独立を叫び始めます。
国内の民族運動はロシアの助けをうけ制圧しますが、普墺戦争に敗れたオーストリアはプロイセンにドイツ連邦の主導権を奪われドイツから除外されてしまいます。(小ドイツ主義)
これで国内のドイツ民族の力が低下し他民族の運動をおさえられなくなったため、1867年「アウスグライヒ(妥協)」をおこない、マジャール人(ハンガリー人)のハンガリーを王国と認め同君連合としてオーストリア=ハンガリー帝国に再編します。
それでも火種はくすぶり続けます。
ロシアはバルカンでパン=スラヴ主義を利用し不凍港を求めて南下政策をとり、パン=ゲルマン主義のオーストリアと対立するようになります。
1908年の青年トルコ革命に乗じて、オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナを併合します。しかしこの二州の住民の大部分はスラヴ系で、セルビアが編入を望んでいたため反発。これを契機にロシア率いるパン=スラヴ主義対ドイツ、オーストリア中心のパン=ゲルマン主義という構図のバルカン戦争がはじまり、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」の様相を呈してきます。
そして1914年六月、ウィーン会議から百年目のこの年にボスニアの州都サライェヴォでオーストリア帝位継承夫妻がセルビア人の民族主義者に暗殺されます。スラヴ系住民の民族運動に手を焼いていたオーストリアは、これを好機とみてセルビアに宣戦布告。ロシアはセルビア支援を表明し、第一次世界大戦がはじまります。
ナポレオンの輸出したナショナリズムがオーストリア帝国内で炎上し、第一次世界大戦につながっていくのです。
このナショナリズムはナチス=ドイツにも影響を及ぼします。
1938年三月、ドイツ民族統合(大ドイツ主義)を名目にしたナチス=ドイツはオーストリアを併合します。これに伴い「ヴンダーチーム」は解体。
また、1956年10月にはハンガリーで社会主義体制とソ連からの離脱を求める大衆行動が起こります。これをソ連は軍事介入によって鎮圧しました。これがハンガリー事件です。
この事件を見るうえで、マジャール人はロシア人と違いスラヴ系民族ではないことを理解しておかなくてはなりません。そしてこの事件をきっかけに「マジックマジャール」も解体することになります。
日本人は多民族国家という意識と実感がないので、ナショナリズムは理解しにくいものだと思いますが、こうしてみるともとをただせば「国民国家」をめざした動きであるということが分かります。
そしてそれが次第に民族運動などに転換されていくことが見てとれます。
ここまで見てきたことをふまえ、日本人として沖縄の現状を見てみるとどうでしょうか。
本土の日本人にとって沖縄は一地方ですが、歴史的にみて沖縄は一つの国であった期間が長いですし、民族も違います。
沖縄の前身である琉球王国は琉球処分を経て、第二次大戦で島は破壊されました。そのうえで現在は多くの米軍基地をかかえています。
領地内の少数派民族が多数派に反発し自治、独立を求めてきた歴史をここまで見てきましたから、今後どのように展開するのか想像できそうではないでしょうか。そして私たちはこの歴史から学び、沖縄問題にたいして少し違った見方ができるようになるのではないでしょうか。
ナショナリズムに翻弄された国、オーストリアとハンガリーはともにグループFに入り、6月14日ボルドーにてグループステージ初戦で激突します。
ヨハン・クライフがこの世を去った年によみがえる両国。特別な試合になりそうです。
今回はオーストリア、ハンガリーとフランスとの関係を「ナショナリズム」を通して見ていきます。
なぜ「ナショナリズム」なのか。それは「ヴンダーチーム」と「マジックマジャール」の解体につながる動きである、ということと世界の現状を見るうえで助けになる歴史だと思うからです。
「ナショナリズム」はフランス革命で産声を上げます。
フランス革命は自由と平等をかかげ、それまでの身分、職業、地域などによって分けられていた人々を国家と直接結びついた市民(国民)にかえようとしました。
こうして誕生した国民意識をもった平等な市民が国家を構成する「国民国家」という理念が生まれます。
そしてナポレオン(ナポレオン=ボナパルト)はその成果を受け継ぎ、ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争をおこし全盛期にはロシア以外のヨーロッパのほとんどを手中に収めます。しかしフランス革命で生まれた「国民国家」の理念はこの一連の戦争とともにフランス以外の国々にも広がり、ナポレオンによる支配に対する抵抗の根拠になりました。
ここから民族問題が始まります。
1814年に当時のオーストリア外相メッテルニヒの主導でナポレオン戦争の戦後処理がウィーンで行われ、ウィーン体制が敷かれます。
ここでいくらか自由主義やナショナリズム(国民主義)は抑えられますが、1848年フランスの二月革命がヨーロッパ各地に波及、民族運動が高揚します。
そのあおりを最も受けたのがオーストリアでした。オーストリア帝国は当時のヨーロッパ最大の多民族国家です。領地内には10をこえる民族が含まれ、1848年革命によってこれらの民族が自治、独立を叫び始めます。
国内の民族運動はロシアの助けをうけ制圧しますが、普墺戦争に敗れたオーストリアはプロイセンにドイツ連邦の主導権を奪われドイツから除外されてしまいます。(小ドイツ主義)
これで国内のドイツ民族の力が低下し他民族の運動をおさえられなくなったため、1867年「アウスグライヒ(妥協)」をおこない、マジャール人(ハンガリー人)のハンガリーを王国と認め同君連合としてオーストリア=ハンガリー帝国に再編します。
それでも火種はくすぶり続けます。
ロシアはバルカンでパン=スラヴ主義を利用し不凍港を求めて南下政策をとり、パン=ゲルマン主義のオーストリアと対立するようになります。
1908年の青年トルコ革命に乗じて、オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナを併合します。しかしこの二州の住民の大部分はスラヴ系で、セルビアが編入を望んでいたため反発。これを契機にロシア率いるパン=スラヴ主義対ドイツ、オーストリア中心のパン=ゲルマン主義という構図のバルカン戦争がはじまり、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」の様相を呈してきます。
そして1914年六月、ウィーン会議から百年目のこの年にボスニアの州都サライェヴォでオーストリア帝位継承夫妻がセルビア人の民族主義者に暗殺されます。スラヴ系住民の民族運動に手を焼いていたオーストリアは、これを好機とみてセルビアに宣戦布告。ロシアはセルビア支援を表明し、第一次世界大戦がはじまります。
ナポレオンの輸出したナショナリズムがオーストリア帝国内で炎上し、第一次世界大戦につながっていくのです。
このナショナリズムはナチス=ドイツにも影響を及ぼします。
1938年三月、ドイツ民族統合(大ドイツ主義)を名目にしたナチス=ドイツはオーストリアを併合します。これに伴い「ヴンダーチーム」は解体。
また、1956年10月にはハンガリーで社会主義体制とソ連からの離脱を求める大衆行動が起こります。これをソ連は軍事介入によって鎮圧しました。これがハンガリー事件です。
この事件を見るうえで、マジャール人はロシア人と違いスラヴ系民族ではないことを理解しておかなくてはなりません。そしてこの事件をきっかけに「マジックマジャール」も解体することになります。
日本人は多民族国家という意識と実感がないので、ナショナリズムは理解しにくいものだと思いますが、こうしてみるともとをただせば「国民国家」をめざした動きであるということが分かります。
そしてそれが次第に民族運動などに転換されていくことが見てとれます。
ここまで見てきたことをふまえ、日本人として沖縄の現状を見てみるとどうでしょうか。
本土の日本人にとって沖縄は一地方ですが、歴史的にみて沖縄は一つの国であった期間が長いですし、民族も違います。
沖縄の前身である琉球王国は琉球処分を経て、第二次大戦で島は破壊されました。そのうえで現在は多くの米軍基地をかかえています。
領地内の少数派民族が多数派に反発し自治、独立を求めてきた歴史をここまで見てきましたから、今後どのように展開するのか想像できそうではないでしょうか。そして私たちはこの歴史から学び、沖縄問題にたいして少し違った見方ができるようになるのではないでしょうか。
ナショナリズムに翻弄された国、オーストリアとハンガリーはともにグループFに入り、6月14日ボルドーにてグループステージ初戦で激突します。
ヨハン・クライフがこの世を去った年によみがえる両国。特別な試合になりそうです。
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