予定説ソナタ 資本主義の起爆剤 その一
2015年の5月末。梅雨入り前、菖蒲が見ごろにさしかかるうららかな日。ひとつのニュースが世界を震撼させました。
スイスの警察がFIFA最高幹部七名を含む複数の理事を逮捕。容疑は一億五千万ドルにおよぶ横領。
今回の主人公はスイス。泥にまみれたFIFAが本部を置く国であり、当時の会長ゼップ・ブラッターの出身地です。
そして世界史で取り上げるのは「カルヴァン派」。
キリスト教の一派であり、ルター派と並ぶ新教の一大宗派です。このカルヴァン派をとおして資本主義の源流を探っていきたいと思います。
スイス代表はW杯に計10回出場し、自国開催の1954年大会を含む3大会でベスト8進出を果たしています。
このチームの特徴として堅守をイメージする人が多くいるでしょう。実際に2006年のドイツ大会ではグループリーグを無失点、続くベスト16のウクライナ戦では0-0の末PK戦で敗退。W杯史上初、無失点で大会を去ったチームとなりました。次の2010年大会の初戦も無失点で終え、二試合目のチリ戦で失点するまでのなんと559分間連続無失点というW杯レコードを樹立しました。
しかし一方で、初出場となった1934年大会から1994年のラウンド16までの22試合すべてで失点し、連続試合失点記録の不名誉も持っています。失点記録をとめた試合が無失点記録のスタートとなったのですから、不思議なチームです。
あまり知られていませんが、スイスはヨーロッパ屈指の移民大国です。ユーゴスラヴィア紛争により移民してきた住民が多く、またアルバニアやトルコからの移民も多数存在。現在の代表チームを見るとその大半が移民で構成されています。
2009年のU-17ワールドカップの優勝メンバーには南スラヴ人系のグラニト・ジャカ、ハリス・セフェロヴィッチ、スペインとチリの国籍をもつリカルド・ロドリゲスなどがいました。
現代表キャプテンであるギョクハン・インラーはトルコ系であり、エースのジェルダン・シャチリは南スラブ人系です。
スイスは多くの国際機関が本部を構えることでも有名です。その中には上記の通りFIFAも含まれ、本部はチューリッヒに置かれています。UEFAの本部もまたスイスはニヨンに置かれています。
さてそれでは今回も世界史へと話を移していきましょう。
今回取り上げるカルヴァン派はジャン・カルヴァンの厳格な禁欲主義を教えとするキリスト教の宗派です。
この大天才は「予定説」を説き、それが図らずして資本主義の起爆剤になりました。
まず、カルヴァンについて『世界史B』にはどのように記されているのか見てみましょう。
「彼の教えの特徴は、神の絶対主権を強調する厳格な禁欲主義で、ジュネーヴでは一種の神権政治がおこなわれた。
カルヴァンは、魂が救われるかどうかは、あらかじめ神によって決定されているという「予定説」を説いたが、これが職業労働を神の栄光をあらわす道と理解する考えと結びついて、西ヨーロッパの商工業のあいだに広く普及した。」(『詳細 世界史B』山川出版社、211貢)
確かに教科書にも予定説が資本主義と結びついたことが書かれていますがこれだけではわかりずらいので、少し掘り下げます。
まず「予定説」とは何なのか。
キリスト教徒にとって最も重要で心配なことは「最後の審判」で自分の魂が救われるかどうか。
その審判を下すのが全知全能にして絶対の「神」です。
この「神」はこの世界、宇宙全体の創造主です。不可能などなく物理法則なんかにも影響を受けない。なぜならそれら全てを作ったのがほかでもない「神」だから。「神はあらゆることから超越している」こう考えるのがキリスト教です。
そしてさらに「一人の例外もなく、人間は堕落した存在である」とも教えます。これが「原罪」というもので、人間ならだれもが「原罪」を背負っています。
その人間ももちろん「神」が作った。だから人間をどうするかは「神」が勝手に決めることです。作った焼き物を茶碗として使おうが、クズ入れとして使おうがそれは作ったものが決めるのと同じ。「どうしてオレはクズ入れなんだ」なんてことを言ったってしょうがない。
つまり誰も救わない、ということもできる。しかし例外として「神」は人間を救うことがあります。なぜ救うのか。それは「神」の偉大さを示すためです。「いいことをしたから救ってやろう」ということではない。それでは人間ごときの行動に「神」が左右されているということになる。だから、いいことをしたから、とかではなく「神」の栄光をあらわすために救うだけ、ということになるのです。
人間がどのように一生を過ごすかも「神」があらかじめ決めたものになります。全知全能にして絶対なのですから、偶然なんてありえません。したがって生まれる前からその人が救われるか救われないかはとうに決まっている、と考えるのが「予定説」です。
「それじゃあ努力したってしょうがない」と考えるでしょうが、まさにその通りです。堕落しきったとるに足らない人間どもなど努力しようがしまいが関係ない。救われる者は救われるし救われない者は救われない。
どうしてこんな絶望的教えがヨーロッパやアメリカに広く波及したのでしょうか。それは、予定説を信じた人の気持ちになるとわかる。
「最後の審判」の場面を想像してみましょう。そこで「結果として」救われた人はどういう人だったと思いますか。
まず、救ってくれる「神」を信仰している人であるんじゃないかと推測できます。ほかの神を信じている輩はいくら偉大でも救ったりはしない。つまりキリスト教である、ということ。
そして、そのキリスト教の中でも腐敗したカトリックではなく、教えを忠実に守る者、つまりカルヴァン派だろうということも推測できるのです。このように「十分条件」はわからないまでも「必要条件」ならある程度推測できる。
そして、人間の人生は「神」があらかじめ定めたとおりに過ごされるのだから、そのなかでカルヴァン派に出会い信仰するようになったのも「神」の思し召しだということになります。そこで「自分はもしかしたら救われる人間なのかもしれない」と思う。その光栄たるや筆舌に尽くしがたきものです。
だからカルヴァン派の信者は熱狂的に「神」を信仰するようになり、その信仰心は一向に冷めず、むしろどんどん増していくのです。
次に、この予定説がどのように資本主義と結びついたのか見ていきます。
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