マムルーク行進曲 イスラーム世界から見た十字軍
「世界三大料理」をご存知でしょうか。
ひとつはわたしたち日本人にもなじみ深い中華料理。
もう一つはいまだ高級な印象の残るフランス料理。
そしてもう一つは少し意外に思えるトルコ料理です。
日本では「ケバブ」が有名なトルコ料理ですが、なぜトルコなのか。
それはトルコ料理がイスラーム文化圏において大きな影響を与えた料理であるからです。
そんな世界に誇る美食文化を持つイスラーム世界の強国トルコが今回の主人公です。
トルコのフットボールと聞いて思い出すのは2002年の日韓共同で開催されたW杯でしょう。
二回目の出場ながら、ダークホースとして躍進。
リュシュテュ・レチベル、ウミト・ダヴァラ、エムレ・ベロゾール、ハカン・シュキュル等を擁し見事に三位で大会を終えました。
EUROでは2008年にアルティントップ兄弟などの活躍でベスト4進出。
2000年代ヨーロッパに新たな風を吹き込んだチームを作り上げたのは、ファティフ・テリム。
1993年から1996年まで代表を率いチームの基礎をつくると、彼自身はガラタサライの監督に就任しUEFAカップを制覇します。その後指揮を執ったフィオレンティ-ナではコッパ・イタリアで優勝。2005年から代表チームの監督に復帰し2008年のEUROでベスト4へ導きます。
そして今回、三度目の代表監督に返り咲いたファティフ・テリムその人がチームを率います。
それでは今回も世界史に移ります。
トルコはフランスとどのような関係があったのか。今回は「十字軍」を通じてみていきたいと思います。
「十字軍」を選んだ理由は、テレビニュースなどで目にする「イスラム国」がよくこのことを引き合いに出すからです。ここで「十字軍」について見ておくことで、彼らの名目を理解する助けになるはずです。
合計で七回おこなわれることになる十字軍は、1096年に第一回十字軍が聖地イェルサレムへ向けて出発しました。
まずは十字軍がおこるまでの経緯を見てみましょう。
当時の西ヨーロッパは封建社会の安定と成長の時代に入ります。温和な気候と三圃制や農業技術の進歩もあいまって農業生産が増大、人口がふえます。
それにともない、西ヨーロッパ世界は内外に拡大していきます。その象徴が十字軍です。
そのころのイスラーム世界は、中央アジアから西方に進出したトルコ人のセルジューク朝が幅を利かせた時代です。彼らはマムルークというトルコ人奴隷で親衛隊を組織し、強力な軍隊を用いました。
建国者のトゥグリル=ベクは1055年に軍事政権ブワイフ朝を追ってバグダードに入城。アッバース朝のカリフからスルタンの称号を授けられます。
その後も拡大を止めず、その領域をアナトリア(現在のトルコのあたり)やシリアの沿岸地域、聖地イェルサレムにも進出しました。
このためビザンツ帝国領を圧迫することとなり、ビザンツ皇帝は当時の教皇ウルバヌス二世(現フランスのシャンパーニュ地方出身)に援護要請します。
1095年にクレルモン宗教会議(現フランスのクレルモン=フェラン)を招集し、聖地回復を大義名分に聖戦をおこすことを提唱。翌年の第一回十字軍へとつながっていきます。
イェルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖地です。
ここはそれまで長い間イスラーム勢力の支配下にありましたが、紛争などなく平和に統治されてきました。
封建社会の安定と成長の時代に入っていた西ヨーロッパでは、日本における江戸時代のように巡礼が流行し、多くのキリスト教徒がセルジューク朝領内のイェルサレムへ巡礼に訪れました。
それに対してセルジューク朝が邪魔をしたのかというとそうではなく、そういった事実は認められていません。
人間はいつの時代も変わらないようで、ここにはそれぞれの思惑が交錯しています。
まず教皇は当時東西に分裂していた教会の統一を目指して。
参加した各国の諸侯は領地や戦利品を求めて。
地中海商業圏で栄えたイタリア諸都市は利益の拡大をたくらんで。
第一回こそイェルサレムを占領したものの、その後イスラーム勢力に再び奪われ結局最後まで聖地回復はできませんでした。
この間、少年十字軍が熱狂的動機からおこされ、悲劇的結末に終わった運動があったり、第四回に至ってはヴェネツィア商人の要求に迫られて本来の聖地回復の目的を捨て、商業上のライヴァルであるビザンツ帝国の都市コンスタンティノープルを占領するという始末。
このようないい加減な十字軍ですが、西ヨーロッパ世界には様々な影響を及ぼしました。しかし今回そこは本筋ではないので置いておきます。
なぜ「イスラム国」は十字軍を引き合いに出すのか。
ここまで見てきたように完全にキリスト教による一方的な侵攻戦争だからです。
第一回十字軍ではイェルサレムで膨大な数のイスラーム教徒が虐殺されました。
そしてキリスト教世界(カトリック)至上主義のような動きであったため、東方正教会のコンスタンティノープルを占領したり、イスラーム教徒だけでなく多くのユダヤ人も虐殺されました。
そしてアフガニスタン戦争やイラク戦争に対して、当時のアメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュ大統領が「十字軍」と表現したことも、彼らが十字軍を引き合いに出す理由の一つでしょう。
すぐに発言を撤回したものの、これは「全イスラーム教勢力に対する侵略戦争である」といっているのと同じことです。
これで「イスラム国」が十字軍を引き合いに出す理由が見えたでしょうか。
もちろん、現在の「イスラム国」の活動はより複雑な事情が絡み合ったものなので、これをきっかけに深ぼりしてみるのもいいかもしれません。
グループDに入ったトルコは6月12日に、花の都パリでクロアチアと初戦を戦います。
ケバブ片手に観戦といきましょう。
ひとつはわたしたち日本人にもなじみ深い中華料理。
もう一つはいまだ高級な印象の残るフランス料理。
そしてもう一つは少し意外に思えるトルコ料理です。
日本では「ケバブ」が有名なトルコ料理ですが、なぜトルコなのか。
それはトルコ料理がイスラーム文化圏において大きな影響を与えた料理であるからです。
そんな世界に誇る美食文化を持つイスラーム世界の強国トルコが今回の主人公です。
トルコのフットボールと聞いて思い出すのは2002年の日韓共同で開催されたW杯でしょう。
二回目の出場ながら、ダークホースとして躍進。
リュシュテュ・レチベル、ウミト・ダヴァラ、エムレ・ベロゾール、ハカン・シュキュル等を擁し見事に三位で大会を終えました。
EUROでは2008年にアルティントップ兄弟などの活躍でベスト4進出。
2000年代ヨーロッパに新たな風を吹き込んだチームを作り上げたのは、ファティフ・テリム。
1993年から1996年まで代表を率いチームの基礎をつくると、彼自身はガラタサライの監督に就任しUEFAカップを制覇します。その後指揮を執ったフィオレンティ-ナではコッパ・イタリアで優勝。2005年から代表チームの監督に復帰し2008年のEUROでベスト4へ導きます。
そして今回、三度目の代表監督に返り咲いたファティフ・テリムその人がチームを率います。
それでは今回も世界史に移ります。
トルコはフランスとどのような関係があったのか。今回は「十字軍」を通じてみていきたいと思います。
「十字軍」を選んだ理由は、テレビニュースなどで目にする「イスラム国」がよくこのことを引き合いに出すからです。ここで「十字軍」について見ておくことで、彼らの名目を理解する助けになるはずです。
合計で七回おこなわれることになる十字軍は、1096年に第一回十字軍が聖地イェルサレムへ向けて出発しました。
まずは十字軍がおこるまでの経緯を見てみましょう。
当時の西ヨーロッパは封建社会の安定と成長の時代に入ります。温和な気候と三圃制や農業技術の進歩もあいまって農業生産が増大、人口がふえます。
それにともない、西ヨーロッパ世界は内外に拡大していきます。その象徴が十字軍です。
そのころのイスラーム世界は、中央アジアから西方に進出したトルコ人のセルジューク朝が幅を利かせた時代です。彼らはマムルークというトルコ人奴隷で親衛隊を組織し、強力な軍隊を用いました。
建国者のトゥグリル=ベクは1055年に軍事政権ブワイフ朝を追ってバグダードに入城。アッバース朝のカリフからスルタンの称号を授けられます。
その後も拡大を止めず、その領域をアナトリア(現在のトルコのあたり)やシリアの沿岸地域、聖地イェルサレムにも進出しました。
このためビザンツ帝国領を圧迫することとなり、ビザンツ皇帝は当時の教皇ウルバヌス二世(現フランスのシャンパーニュ地方出身)に援護要請します。
1095年にクレルモン宗教会議(現フランスのクレルモン=フェラン)を招集し、聖地回復を大義名分に聖戦をおこすことを提唱。翌年の第一回十字軍へとつながっていきます。
イェルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖地です。
ここはそれまで長い間イスラーム勢力の支配下にありましたが、紛争などなく平和に統治されてきました。
封建社会の安定と成長の時代に入っていた西ヨーロッパでは、日本における江戸時代のように巡礼が流行し、多くのキリスト教徒がセルジューク朝領内のイェルサレムへ巡礼に訪れました。
それに対してセルジューク朝が邪魔をしたのかというとそうではなく、そういった事実は認められていません。
人間はいつの時代も変わらないようで、ここにはそれぞれの思惑が交錯しています。
まず教皇は当時東西に分裂していた教会の統一を目指して。
参加した各国の諸侯は領地や戦利品を求めて。
地中海商業圏で栄えたイタリア諸都市は利益の拡大をたくらんで。
第一回こそイェルサレムを占領したものの、その後イスラーム勢力に再び奪われ結局最後まで聖地回復はできませんでした。
この間、少年十字軍が熱狂的動機からおこされ、悲劇的結末に終わった運動があったり、第四回に至ってはヴェネツィア商人の要求に迫られて本来の聖地回復の目的を捨て、商業上のライヴァルであるビザンツ帝国の都市コンスタンティノープルを占領するという始末。
このようないい加減な十字軍ですが、西ヨーロッパ世界には様々な影響を及ぼしました。しかし今回そこは本筋ではないので置いておきます。
なぜ「イスラム国」は十字軍を引き合いに出すのか。
ここまで見てきたように完全にキリスト教による一方的な侵攻戦争だからです。
第一回十字軍ではイェルサレムで膨大な数のイスラーム教徒が虐殺されました。
そしてキリスト教世界(カトリック)至上主義のような動きであったため、東方正教会のコンスタンティノープルを占領したり、イスラーム教徒だけでなく多くのユダヤ人も虐殺されました。
そしてアフガニスタン戦争やイラク戦争に対して、当時のアメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュ大統領が「十字軍」と表現したことも、彼らが十字軍を引き合いに出す理由の一つでしょう。
すぐに発言を撤回したものの、これは「全イスラーム教勢力に対する侵略戦争である」といっているのと同じことです。
これで「イスラム国」が十字軍を引き合いに出す理由が見えたでしょうか。
もちろん、現在の「イスラム国」の活動はより複雑な事情が絡み合ったものなので、これをきっかけに深ぼりしてみるのもいいかもしれません。
グループDに入ったトルコは6月12日に、花の都パリでクロアチアと初戦を戦います。
ケバブ片手に観戦といきましょう。
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