多民族交響曲 二つの幻とナショナリズム その一
リヌス・ミケルスとともにトータルフットボールを完成させた、「フライングダッチマン」ことヨハン・クライフが2016年3月24日に肺がんのためこの世を去りました。
クライフは時代の寵児でした。彼は自らが時代の先導者となり、歴史を作りました。
そして今回の主人公は、クライフ率いるオランダとは反対に、時代の流れに翻弄され、表舞台から姿を消されてしまった二か国です。
一か国目は2008年の自国開催以来2度目の出場となるオーストリア。
二か国目は1972年大会以来の出場となるハンガリー。
今や遠い昔となった現代フットボールの黎明期に、大旋風を巻き起こし突如その姿を消した二つの幻。
1931年に当時ヨーロッパ大陸で敗れたことのなかったスコットランド代表を5-0で粉砕し、1930年代に最強を誇ったオーストリア代表チームは、「ヴンダーチーム(ワンダーチーム)」の愛称で世界を熱狂させました。
監督のフーゴ・マイルスは1925年にオフサイドルールが改定されると、いち早く対応しWMフォーメーションを導入します。
チームの中心は「紙の男」の異名を持つマティアス・シンデラー。オーストリアフットボール界における最高の選手です。快速の点取り屋ヨーゼフ・ビカンは親善試合以外で800ゴールを挙げた歴史上唯一の選手となりました。
1934年のイタリアW杯では優勝候補筆頭だったにも関わらず、ムッソリーニの妨害により4位で大会を去ります。
そして1938年3月、ナチスドイツによりオーストリア併合(アンシュルス)がなされ、チームは解体されました。
時代は下り第二次大戦後の1953年11月、ウェンブリースタジアムで行われたイングランドvsハンガリーの試合。当時英国四協会とアイルランド以外のチームに敗れたことのなかったイングランドを、ハンガリーが6-3で撃破しました。
この衝撃的なチームは「マジック・マジャール(ゴールデンチーム)」の愛称で1950年代世界を席巻します。
WMフォーメーションをさらに進化させたMMフォーメーションを採用し、「疾走少佐」プスカシュ・フェレンツ、「黄金の頭」コチシュ・シャーンドル、「黒豹」グロシチ・ジュラ、ヒデグチ・ナーンドルなど綺羅星のごとく居並び、その圧倒的な攻撃力で1950年6月から1954年6月までの四年間無敗を誇りました。
そして不幸にもその無敗記録が途絶えたのは1954年スイスW杯決勝戦。西ドイツに競り負け、栄光を逃してしまいます。
二年後の1956年10月、ハンガリー事件勃発。混乱の中多くの主力選手が亡命し、チームは事実上の解体をむかえました。
同じような道をたどったこの二か国が生み出した、細かいパスを回し選手が連動して動き回るそのスタイルは、のちのトータルフットボールの生みの親、リヌス・ミケルスやヨハン・クライフに大きな影響を与えました。
歴史に「もし」は存在しませんが、それでも、もしこの二か国のチームが消滅を免れていたらどんな歴史が生まれていたのか、想像せずにはいられません。
そしてこの隣り合う中東欧の二強国は、世界史でもその存在感を存分に発揮するのです。
次に、その歴史を探ります。
クライフは時代の寵児でした。彼は自らが時代の先導者となり、歴史を作りました。
そして今回の主人公は、クライフ率いるオランダとは反対に、時代の流れに翻弄され、表舞台から姿を消されてしまった二か国です。
一か国目は2008年の自国開催以来2度目の出場となるオーストリア。
二か国目は1972年大会以来の出場となるハンガリー。
今や遠い昔となった現代フットボールの黎明期に、大旋風を巻き起こし突如その姿を消した二つの幻。
1931年に当時ヨーロッパ大陸で敗れたことのなかったスコットランド代表を5-0で粉砕し、1930年代に最強を誇ったオーストリア代表チームは、「ヴンダーチーム(ワンダーチーム)」の愛称で世界を熱狂させました。
監督のフーゴ・マイルスは1925年にオフサイドルールが改定されると、いち早く対応しWMフォーメーションを導入します。
チームの中心は「紙の男」の異名を持つマティアス・シンデラー。オーストリアフットボール界における最高の選手です。快速の点取り屋ヨーゼフ・ビカンは親善試合以外で800ゴールを挙げた歴史上唯一の選手となりました。
1934年のイタリアW杯では優勝候補筆頭だったにも関わらず、ムッソリーニの妨害により4位で大会を去ります。
そして1938年3月、ナチスドイツによりオーストリア併合(アンシュルス)がなされ、チームは解体されました。
時代は下り第二次大戦後の1953年11月、ウェンブリースタジアムで行われたイングランドvsハンガリーの試合。当時英国四協会とアイルランド以外のチームに敗れたことのなかったイングランドを、ハンガリーが6-3で撃破しました。
この衝撃的なチームは「マジック・マジャール(ゴールデンチーム)」の愛称で1950年代世界を席巻します。
WMフォーメーションをさらに進化させたMMフォーメーションを採用し、「疾走少佐」プスカシュ・フェレンツ、「黄金の頭」コチシュ・シャーンドル、「黒豹」グロシチ・ジュラ、ヒデグチ・ナーンドルなど綺羅星のごとく居並び、その圧倒的な攻撃力で1950年6月から1954年6月までの四年間無敗を誇りました。
そして不幸にもその無敗記録が途絶えたのは1954年スイスW杯決勝戦。西ドイツに競り負け、栄光を逃してしまいます。
二年後の1956年10月、ハンガリー事件勃発。混乱の中多くの主力選手が亡命し、チームは事実上の解体をむかえました。
同じような道をたどったこの二か国が生み出した、細かいパスを回し選手が連動して動き回るそのスタイルは、のちのトータルフットボールの生みの親、リヌス・ミケルスやヨハン・クライフに大きな影響を与えました。
歴史に「もし」は存在しませんが、それでも、もしこの二か国のチームが消滅を免れていたらどんな歴史が生まれていたのか、想像せずにはいられません。
そしてこの隣り合う中東欧の二強国は、世界史でもその存在感を存分に発揮するのです。
次に、その歴史を探ります。
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