カタルーニャ独立運動とFCバルセロナ。フットボールと政治の関係



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カタルーニャが独立か。
過去に何度も独立運動を起こしてきたカタルーニャ自治州が、今度は独立を宣言する一歩手前まで歩みを進めた。自治憲章と住民投票が違憲とされたにもかかわらず、強硬に投票を実施し90%以上の人が独立賛成に票を投じた。2017年10月16日時点では独立宣言はされていないが、予断を許さない状況が続いている。

「クラブ以上の存在」を自称するFCバルセロナ(以降バルサ)は、ここ数年同州の独立に賛成する姿勢を見せている。一方バルセロナに本拠地を置くもう一つのクラブ、RCDエスパニョールは中立の立場だ。

歴史的に中央政府との対立を繰り返してきたカタルーニャ。そのカタルーニャアイデンティティのよりどころであり続けるFCバルセロナ。フットボールクラブは政治的発言をするべきなのだろうか。今回の騒動を通して考える。


カタルーニャナショナリズムにおける5つの歴史的出来事



まずはじめに、カタルーニャ・ナショナリズムがどのように形作られてきたのか、鍵となる「スペイン統一」「収穫人戦争」「ディアーダ」「カルリスタ戦争」「フランコ体制」の5つの歴史的出来事からヒントを探る。


・スペイン統一




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中世に生まれたカタルーニャ君主国は、1137年にアラゴンアラゴン王国と同君連合を形成し「アラゴン=カタルーニャ連合王国」が生まれた。最盛期には地中海で大きな力を持ち、バルセロナには商品取引所が存在、海事慣習法が編集され発行されるなど、まさにカタルーニャが地中海のルールだった。

しかし1469年にアラゴン王子とカスティーリャ王女が結婚し、1471年にスペインが統一された。これによりカタルーニャは事実上独自性が奪われる結果に。州知事のような役割を持つ副王がカタルーニャに置かれ、中央政府によって統治された。それに加え大航海時代の始まりにより、商業圏が地中海から大西洋に移動したことが痛手となり経済も衰退。地中海の覇権も台頭してきたオスマン帝国に奪われた。

カタルーニャの法はまだ尊重されていたものの、隆盛と衰退、それだけでなく領土を減らし否応なしに帰属する国家が変わる。民衆のアイデンティティに大きな影響があったかどうかは疑問だが、経済的な衰退によりそこに原因を見出した人々は少なくなかったのではないだろうか。

・収穫人戦争



1618年から1648年に戦われた「三十年戦争」で、スペインはフランスと闘っていた。その最前線となったカタルーニャに中央政府を置くカスティーリャの軍をカタルーニャに駐留させ、その軍人たちが街を荒らしまわり食料を奪い、戦費をカタルーニャから搾取。そのことに怒った農民が蜂起し、鎌を武器にカスティーリャの兵士たちの駐屯地を襲った。
当時の副王だったサンタ・コロマ伯は中央政府寄りだったうえに悪政を行っていたため、農民たちの手で殺害された。このように、最初はカスティーリャ軍を攻撃することを目的としていたものが、次第に権力を握る貴族や大地主をも標的に含めるようになった。

スペインと闘っていたフランスはこれを利用。カタルーニャと連合軍を組みカスティーリャ軍を追い出し、カタルーニャ共和国を成立させた。しかしフランスは実質的にカタルーニャを支配するようになり、今度はスペイン中央政府(カスティーリャ)がフランスを追い出しに動いた。結果的にはピレネー条約によりカタルーニャの一部がフランス領となることで落ち着いた。現在もカタルーニャ地方がフランス側にも存在しているのはそのため。
カタルーニャの国歌である「収穫人たち(Els Segadors)」はこの反乱の時に歌われた歌である。

ここから見えてくるのは、カタルーニャの地勢的条件とそれに伴う板挟みだ。フランスとスペインとの両方に利用され、戦地となったことで多くの死傷者を出した。そしてある意味では自分勝手で、ある意味ではしたたかな生き残り策。自分たちの自治や権利が守られるのであればスペインでもフランスでもどちらでも構わない、という国家への帰属意識の薄さを感じさせる。

・ディアーダ



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「ディアーダ・ナシウナル・ダ・カタルーニャ」。「カタルーニャの日」と呼ばれるこの日はカタルーニャ州の祝日で、カタルーニャが自治権を失った出来事を由来としている。
1701年から1714年に戦われた「スペイン継承戦争」で、カタルーニャは中央集権的であったブルボン家出身のフェリペ5世に反対し、ハプスブルグ家出身のカール大公を支持した。

はじめは、イングランド王国やオーストリア、ポルトガル王国とともに、アラゴン、バレンシアが付いたカール大公側が攻勢だったものの次第に後退、アラゴンとバレンシアは占領され、イングランドやハプスブルグ帝国(オーストリア)が和平を結び、同盟軍はみな撤退したにもかかわらず、カタルーニャは最後までスペインに降伏するのも拒否。1714年9月11日にバルセロナが陥落し、スペイン軍に占領された。これ以降公の場でのカタルーニャ語の使用が禁止されるなど厳しい仕打ちを受けた。

この戦争でも戦地となったカタルーニャ。そしてまたも敗北。言語を制限されるというのは、文化を否定されることであると言って間違いない。言語とは文化の結晶だ。文化はその地域の風土から生まれる。つまり地域そのものの営みが否定されたわけだ。このことがカタルーニャのアイデンティティに大きな影響を与えたことは想像に難くない。

近年はこの日に合わせてカタルーニャ独立を求めるデモが行われる。2012年の大規模デモには、バルセロナの当時の会長であったサンドロ・ロセイが参加し、注目を集めた。

・カルリスタ戦争



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1833年から1876年まで繰り広げられたスペインの王位継承を争った戦争であるカルリスタ戦争は、実質的には中央集権派対地方特権擁護派の戦争だった。カタルーニャはもちろん後者。

日本でも同じように、息子がいないとどこからともなく親戚が顔を出してくるのが世の常だ。この時も、法律のこじれから崩御したフェルナンド7世の弟ドン・カルロスと娘のイザベルとの争いになった。カルリスタとはドン・カルロスを支持する人々のこと。彼らは封建的な社会(地方特権や絶対王政)を支持し、一方のイザベル派の人々は近代的な社会(中央集権や自由主義)を支持した。

主な戦地となったのはカルリスタ派の地域。スペイン継承戦争でカール大公を支持したカタルーニャとアラゴン、バレンシアに加え、フェリペ5世を支持していたバスクも戦地になった。一時はガリシアでもカルリスタ派の反乱が起こったものの、最終的にはイザベル派の勝利に終わり、その結果スペインの近代化が進められた。

この戦争が中央対地方、近代対反近代という形を成した背景には、工業化による弊害が生じたことが大きい。工業化が進んだことで、よりよい労働条件を求めて農村部から都心部へ労働者が流入し人口が急激に増えた。地域の外からも物や人が流入し社会が開けたのだが、その反動でナショナリズムが台頭。さらに、工業化は資本家と労働者との間に大きな格差を生む仕組みになっているので、工場で働く人々は過酷な労働と低賃金に異議を唱えるために、組合を組織しストライキを実行。ともすれば工業化したこと自体が問題だと唱える者も出てくる。そこに目を付けた近代化することで、既得権益を失う教会や大地主などがその運動を支援。そうした中で浮上した王位継承問題だったために、議論がすり替わった、という見方ができる。

特に近代化により外から物や人が入ってくることで、相対的にナショナリズムが高揚したことは間違いない。なぜならこの時期のヨーロッパでは各地でナショナリズムの反乱がおきているからだ。


・フランコ体制



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最も最近の出来事であるため、現在のカタルーニャ・ナショナリズムに最も強い影響を与えていると言っていいのが、フランコ独裁体制だ。1939年から1975年まで続いたこの体制下でカタルーニャをはじめとする、反中央集権的地域は文化や経済の面で大きな被害を受けた。

バスクダービーの記事の中でも書いたように、フランコはその地域の文化的象徴に対して厳しい規制を敷いていた。バスクのイクリニャ(バスクの旗)がそうであったように、カタルーニャの旗や祭り、音楽、そして公の場でのカタルーニャ語の使用を禁止した。自治憲章も廃止。前述した「ディアーダ」もこの期間は禁止されていた。

これだけ強い弾圧を受けたのも、カタルーニャが常に中央政府に反対する姿勢をとってきた歴史があるからだ。それはバスクも同じ。そのため、フランコはこれらの地域には産業振興を行わなかった。

バルセロナはカタルーニャにとって「クラブ以上の存在」


カタルーニャの歴史についての話が少し長くなったが、ここからはフットボールの話に移る。ここではFCバルセロナとカタルーニャとの関係を見ていく。

・FCバルセロナの歴史


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カルリスタ戦争終結から23年後の1899年に創設されたFCバルセロナ。創設から間もない1919年に起きた「カタルーニャ自治憲章制定運動」にクラブとして参加している。そしてその時に使われたスローガンが「クラブ以上の存在(MÉS QUE UN CLUB)」。つまりこのクラブは歴史的にみて、カタルーニャ民族主義、カタルーニャ地方自治主義とともにあるクラブなのだ。

フランコ独裁体制に強く反対したバルサ。フランコが政権をとった1935年に会長だったスニョルが暗殺された。この体制下で恩恵を受けたのは首都であり中央政府の中心であったマドリードに本拠地を置くレアル・マドリード。目の敵にされていたバルサとは反対に、フランコ政権の支援を受けていたとも言われている。この二つのクラブがぶつかる「クラシコ」が盛り上がるのも、こうした歴史が影響している。

フランコ体制下では公の場でのカタルーニャ語の使用を禁止されていたが、例外としてバルサのホームスタジアム「カンプ・ノウ」では使用可能であった。当時のカタルーニャ人にとってカタルーニャ・アイデンティティのよりどころであり、まさに「クラブ以上の存在」であったことだろう。


・FCバルセロナとカタルーニャ独立運動



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2006年にカタルーニャ自治州政府の政権交代が起こり、自治憲章を改正した。しかし中央政府でこれに反対する動きがあり司法にかけられた結果、違憲判決が下された。この判決とともに、スペインが採用する財政制度が財政の弱い地域を優遇するものであるため、財政が強く、スペインのGDPの20%を占めるカタルーニャ自治州は不満を募らせていた。

この2点が主なきっかけとなり、カタルーニャ・ナショナリズムが高まり独立支持派が数をふやした。2010年からディアーダに独立支持派のデモが行われるようになり、2012年の大規模デモには、当時バルサの会長を務めていたサンドロ・ロセイが゛個人的な意思“で参加し、ペップ・グアルディオラはビデオメッセージを送っている。

この時カタルーニャが独立した場合にバルサはどんな立場になるのか、という旨の質問を受けたロセイは「独立してもラ・リーガに残る」と発言していた。また、ロセイはそれまで、ソシオ(サポータークラブ)がクラブを経営することで胸にスポンサーを入れないことを誇りとしてきたクラブの伝統を改め、2011年にカタール財団とスポンサー契約を結び、カタール航空のロゴを胸に入れる決断をした会長でもある。

・独立支持に大きく傾くFCバルセロナ



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2014年にロセイが会長職を退き、新たに会長に就任したジョゼップ・バルトメウはカタルーニャ独立を目に見える形で支持。PDNN(決定する権利のための国家権利)に参加し2014年に行われた独立を問う住民投票を支持した。またこの住民投票に伴う大規模デモにはシャビ・エルナンデスやジェラール・ピケが参加していた。

2013年にクラブに加わったネイマールの契約には「カタルーニャ文化に敬意を示し、その価値を認めること」「カタルーニャ語習得を義務とすること」「バルサは選手がカタルーニャへの知識を深めること、またその社会に適応するため、必要な手段を講じるものとする」という文言が含まれていたようだ。

そして今回の独立を問う住民投票では、警官隊のデモ参加者に対する暴力行為に対する抗議として10月1日のカンプ・ノウで行われたラスパルマス戦を無観客試合とし、10月3日にはクラブ施設を封鎖しストライキを実施した。ラスパルマス戦ではカンプ・ノウのオーロラビジョンに「民主主義(DEMOCRÀCIA)」の文字が映されていた。

フットボールと政治、ナショナリズム



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歴史を知り、今に至るまでにその地域とクラブにどんなことがあったのかを知ることは重要だ。全てのものにはつながりがある。そしてバルサのように、多くのフットボールクラブは歴史的に多くの地域でそこのコミュニティと密接な関係を持っている。特にフットボールの母国であるイングランドやスコットランドをはじめとしたヨーロッパ諸国では顕著であり、階級や政治思想が色濃く反映される場がフットボールのスタジアムであった。つまりフットボールと政治的な思想は切ってもきれないものなのだ。ローカルダービーの歴史をたどれば、それは明らかなこと。

しかしそれは主にサポーターたちが持ち込むものであって、クラブがその思想や主義をリードするのはいかがなものか。フットボールクラブは一定の力を持っている。民意を先導することも可能であり、そのことは十分に考慮されるべきだ。バルサの歴史を知ったうえでもそう思う。

ことバルセロナに関していえば、ネイマールの契約はやりすぎだ。カタルーニャの文化の価値を判断するのは個人の意思に任せるべきであり、内心まで干渉するべきではない。民主主義を冒とくしているのはバルセロナのほうではないか。
それに、今回の住民投票ではバルセロナ市やタラゴナ市などのカタルーニャ州内の大都市が投票所の設置を拒否している。なぜならば住民投票自体がスペインの憲法に違反いているから。民主主義を声高に叫ぶのであれば、住民投票を認める憲法を制定する勢力を中央政府で躍進させ、選挙で改革するのが筋だろう。

最近ではドナルド・トランプ米国大統領がNFLの選手に対して国歌斉唱時に起立しない選手はクビになるべきだ、と「Son of a b****」を交えて発言し、物議をかもした。クラブはそれに反発し、全員で膝をつくクラブもあった。
フットボール界でも、10月14日に行われたヘルタ・ベルリンvsシャルケの試合で、試合前にヘルタ・ベルリンの選手たちが膝をつき、同発言に対する抗議を示した。アメリカでおこったことに対してドイツのクラブが反応したのだ。

私たちフットボールサポーターが本当に観たいものは何なのだろうか。独立に賛成する意を公表するクラブの姿か。選手が政治的な発言をして代表チームの練習で罵声を浴びる姿か。アメリカのことに反応しドイツで膝をつくチームの姿か。

違う。私たちはフットボールが観たいのだ。
鮮やかなゴールが観たいのだ。
美しいパスが観たいのだ。
激しいタックルが観たいのだ。
勇ましいセービングが観たいのだ。
フットボールサポーターの心を動かすものは、政治や主義ではない。フットボールそのものなのだ。

前述したとおりフットボールと政治は切り離せないものだ。しかし、それをわかったうえで、スタジアムにはフットボールを観に行っているのだ。独立だ、主義だ、そういうことはそれを言いたいサポーターに任せておけばいいではないか。クラブが首を突っ込み、ことを大きくする必要はない。特に現代のような外に開かれた世界の場合は、問題が複雑化し、本質であるフットボールがないがしろにされかねい。そんなことは誰も期待していないだろう。

現在のような世の中だからこそ、口を閉じてフットボールをしよう。





参考参照:
カタルーニャ
カタルーニャの歴史
収穫人戦争
スペイン継承戦争
ディアーダ・ナシウナル・ダ・カタルーニャ
カルリスタ戦争
カタルーニャ・ナショナリズム
カタルーニャ独立運動
カタルーニャが独立を強行するとどうなるか
バルサ会長「カタルーニャが独立してもLFPに属し続ける」
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カタルーニャ独立問題に揺れるスペイン
ナバラ州
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